子育て いじめ 不登校 ひきこもり 暴力 アルコール 薬物依存 拒食 過食症 リストカットなどの予防、解決を考える会。北海道内観療法懇話会 臨床内観療法研究会
 
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  子育て・いじめ・不登校・ひきこもり・暴力・アルコール・薬物依存・拒食・過食症・リストカットなどが社会問題となっています。これらの予防・解決に内観法、内観療法が有効であると考え、その予防・解決について考えます。

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スクールカウンセラーからみた子どもたち
―元内観指導者の立場から―
リュウ心理臨床オフィス
友田 龍多

はじめに―学校へ行って気づいたこと 
 医療の現場にいたときには「我々は、とても重い事例を扱っている」と思い込んでいた。たとえば精神分裂病の子ども、家庭内暴力で全身が腫れあがった母親などなど。ところが、スクールカウンセラーとして学校に行き、実はそれはとんでもない思い上りだったとまず気づいた。少し考えれば当たり前のことなのだが、病院は、治したい変わりたいと思っている親や子が来るところだ。学校にはそうは思っていない親や子、関わることを放棄された子がずいぶんたくさんいた−それには多分、それぞれ固有の事情があるのだろう。だから、一方的にそういう親や子を責めてはならないだろう。病院に勤務していたとき「お母さん、もっとちゃんと」とか「お父さんの影が薄すぎる」などと言っていたが、それはせっかく子どものためによかれと思って来院してくださった親や子に、なんと配慮の欠けた言葉だったのだろうと思う。

 内観療法なり、他の心理療法なりでお世話をしているつもりで、実は配慮の足りなさから心配・迷惑をかけていたわけだ。―内観と出会っていなければ、おそらく、こういう視点は持てなかっただろう。

 もうひとつ、学校の先生の忙しさにも驚いた。しかも熱心であればあるほど忙しくならざるをえない構造が、どうも、あるらしい。そういう忙しい人たちが一生懸命に働いている。自分のからだやこころをボロボロにして先生方は働いておられる―宗像※1)の調査では教師の41パーセントに燃えつき症候群がみられ、かつ33パーセントの教師は神経症ないし心身症の症状を自覚している−。自分の家族との関わり、余暇時間、睡眠時間を削って。これではこころのゆとり、余裕の維持は、難しい。

 ならば、余裕がない、しかし真面目で一生懸命な大人に、一生懸命関わられる子どもたちも相当しんどいだろうなと、思う。

いまどきの子ども―変わったのは何か
 学校で、男の子はコロコロじゃれあって遊び、女の子はよく笑う。時にいがみあい、恋して、失恋して、勉強して。また、私たちが子どもの頃にはテレビゲームもなければ、援助交際もなかったけれども、子どもの頃私たちの親から「自分たちが子どもの頃にはテレビがなかった」「ランプ磨きが子どもの仕事で」と聞かされたことに等しい。……子どもたちの基本的なところは、あまり変わった印象を受けない。…これはことによると、わたしが物事の差異をあれこれ考えるのではなく、むしろ共通点を見つけようとするタイプであることと関係しているのかもしれないが。

 最近の子どもたちは、他人への覗き見的な興味はあるが、関わろうとしない、感情を表現できない、衝動の統制が効かない、ベタベタとまとわりつくが「メシ」「金」といったオーダー言葉しか話せない、物を大切にしない、すぐ人のせいにする、裏表の落差が激しい、何でもないことでキレるといった特徴があるという言説をよく耳にする。

 こういった語りを聞くたびに私は「それって子どもの特徴か?」と思う。加えて「人間は他者に仮託して、自己のことしか語れないものなのだな」とも感じる。

 もし子どもたちが感情を表現できないとしたら、それは大人の社会で感情が上手に表現できなくなっていることをコピーしているだけではないだろうか(ことによると拡大コピーかもしれないとは思う)。衝動の統制が効かない、……バブルはまさにそれだったろう。学校の内や外で子どもたちにベタベタまとわりついて「あれしろ、これしろ」とオーダーしかしていないのは大人だ。援助交際にしても需要があるから供給システムができあがったのであろう。―こういった点で、子どもを取り巻く状況はおそらく変わっており、子どもにとってひじょうにハードになっている面がある。

 我々大人は子どもの世話をしているつもりになっている、また実際にお世話をしているのだけれども、その「世話」の中にずいぶんたくさん「心配・迷惑」成分が含まれている。本来「世話」にはそういう側面がある一小さな親切、大きなお世話。

 ならば、我々大人ができることは、まず、我々自身の子どもたちへの、周りの方々に対する言動をチエックし直すことだろう。その意味では自己を見つめ振り返る内観がまず必要なのは大人なのではないだろうか。そのあとで学級内観や学校内観を導入されるならば意義深いだろう。一方自己の振り返りがないままでは、試みは無効におわるのではないかと思う。

 以上の点をふまえた上で、いまどきの子どもたちの特徴を見つめると、それは、ないわけではない。

 私がスクールカウンセリングでうかがっているのは中学校なので、中学生の特徴なのかもしれないが、肯定的な表現をすると「感受性が豊か」と言えると思う。「本当か?」と思われる方もいらっしゃるだろうが、感受性が豊かである場合、その「感受性が豊かである」ということすら気づかれないように子どもは気配りをするものだ。別の言い方をすると「人の顔色を見るのがひじょうに上手だ」とも言える−ただこれも子どもたちだけの特徴かという気もする。たとえば夢分析とエリクソンの自我同一性の研究で高名な鑪※2)は、日本人のパーソナリティ特性として『アモルファスな自我』つまり「確固というよりは、周囲や他者に合わせる曖昧な自我」を挙げている−。子どもたちは、周りに合わせるのが非常に上手であるし、同時に周りから外れることに非常に敏感である。

 もうひとつは、派閥というか親しく付き合うグループの規模。お断わりしておくが、私は中学生くらいの頃には派閥争いはやむを得ないと考えている。なぜならば、アイデンティティ、同一性の獲得という思春期・青年期の発達課題を考えると、自分と同一な集団と「まったりと」付き合うことがどうしても必要になってくるから。今はそのグループの規模が3〜5人くらいと小さくなっている。中でも3人グループ、つまりグループとしての最小単位で構成される。したがって、仲違いが生じ一人がグループからはじき出されると、その子の行き場がなくなってしまう。もう少し大規模なグループの場合は、一つのグループから出ると他のグループから引き合いが入るはずなのだが、小規模だとそうはいかない。この小規模グループがより大きなグループに収斂していかない。すると、一度抜けたりはじき出されるととてつもなくしんどいことになる。集団間の力動やうねりも複雑なため、きめ細かく見ていないとまったく見えてこない。こういう特徴があると思う。

 またグループが、構成員数だけではなく、時間や場所によっても細分化されている印象がある。たとえば同じ学級で授業や休み時間を過ごすグループ、部活内でのグループ、塾のグループなど、一人ひとりがそれぞればらばらないくつものグループをもっている(それぞれに独自のしがらみがあるので、「もっている」と同時に「縛られている」)。

 このような特性があるとすると、その中でどのような工夫をしていけば良いのか考えるべきだろう。−この工夫について、私はまだうまく言葉にすることができない。

 小集団化の中で不登校やいじめ、非行が生じているわけだが、では不登校やいじめは、最近になって「発生」してきたもしくは「発明」されたことなのかというと、どうもそうではない、昔からあったのではないかと思われる。実際私の子ども時代を振り返ってみても、あった。−がっては、学校は何が何でも来なければならない、あるいはいじめられても耐えなければならないという、暗黙の了解の中で抑えられ、名づけられないままだっただけなのではないか。

 もちろん学校に行きたいけれども行けないこと、いじめられることは辛いことだが、これが「不登校」「いじめ」と名づけられ、表に出てきたことで「行かねばならない」「耐えねばならない」といった重苦しい価値規範から少し離脱できつつあるのではないか。そう考えると、学校に来たいけれども来れないならば、たとえば午後からでも、保健室登校でもいいじゃないかという声や、いじめは絶対に良くないことなんだという声が上がってきたのは、我々の社会が、まだ過渡期ではあるにせよ、少しずつ成長している証なのではないかとも思っている。

まとめ
 子どもたちは、多分、あまり変わっていないが、我々が子どもだった頃に比べ集団の規模が小さくなっている。それによりさまざまな弊害も出ているが、それは我々の社会がもっている歪みを正確に反映したものだろう。

 ただしそれは一方的に歪みという側面を持つだけではなく、かつては「かくあらねばならないという美徳の名の元でずっと堪え忍ばざるをえなかったことが表に出てきた」とも言える。これは、我々の社会がさまざまな歪みを孕みつつも少しずつは成長していることを表しているだろう。この歪みのなかに我々大人の側の歪みがあるならば(間違いなくあると思われる)、我々は子どもがどうの、たとえば今の子どもはキレやすいと言うよりもまず我々自身がキレていないか、世話をしているつもりで心配や迷惑をかけていないかどうか、振り返るところから始めた方が良いのではないか。スクールカウンセラーという立場から子どもたちを見たとき、そう考えている。

参考文献
1)宗像恒次(1988)燃えつき現象研究の今日的意義・看護研究、21(2)。

2)鑪幹八郎(1998)恥と意地―日本人の心理構造、講談社現代新書1387。





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