子育て いじめ 不登校 ひきこもり 暴力 アルコール 薬物依存 拒食 過食症 リストカットなどの予防、解決を考える会。北海道内観療法懇話会 臨床内観療法研究会
 
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  子育て・いじめ・不登校・ひきこもり・暴力・アルコール・薬物依存・拒食・過食症・リストカットなどが社会問題となっています。これらの予防・解決に内観法、内観療法が有効であると考え、その予防・解決について考えます。

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内観で見えた私
―2回の内観を終えて
札幌太田病院 ケアワーカー
若宮 祐子

内観で見えた私-2回の内観を終えて 
 この度2回目の内観を終えて、1ヵ月が過ぎました。2回目の内観で「自分に集中する」事を教えられました。「自分の力で自分に集中する事なんだ」と実感した時、何故か涙があふれ、寂しくなりました。

 私が摂食障害と言われる行動を始めたのは17歳でした。それまでは、普通だと思っていました。目立つ訳でもなく、生意気でもなく、自己主張する訳でもなく、どちらかと言えばおとなしくて、多少反対の気持ちがあっても人について進むタイプでした。誰かが右と言えば私も右と言う。元気がなくても元気にしていて、人が居なくなるとハアーとため息ばかりついてました。だから、学校では先生のそばへは行けず、胸張っている友人は思い出せません。

 家庭にいると、そういうはっきり気持ちに道をつけてくれるのが母で、私の気持ちを察して、私が傷つく前に手助けしてくれました。だから、母にはわがままで、すぐむくれたりして、母にやってもらう様にし向けて生活していれた。いわゆる、内弁慶というやつです。

 反対に父は、自己主張が異常に強く、暴言や脅かしをたくみに使い、家族が父に従って動いたり、考えたりしてると自己満足し、地位や名誉、そして自分の為に働くのではなく「お前たち家族の為に働いている。俺のおかげで、飯が食えるんだ」と暴れる。母は、ひたすら服従し、そして父が私達にあびせる支配的な態度に父の前では反抗する訳でも、意見する訳でもなく、ただ黙ってうつ向き、その父が居ない場所では、私に愚痴をこぼしてました。

 この様な我家である事を、誰も知りませんでした。父も母も共通してたのは、この我家で何か起こっても、近所や親せきには、はずかしくて相談出来ないし、何を言われるかわからないとか、人様に笑われるだけだとか、耳にタコが出来る位、小さい時から聞かされてました。だから、友達にも相談出来ない。同級生には近づけず、私の救いは祖父母でした。私は両親から「おまえには幸せになって欲しい。苦労させたくない。」といつも言われ、期待され通しでしたが、祖父母は私をありのまま、見てくれました。祖父も私を「バカ!」と平気でいいます。でも私は居心地が良かったのです。そのせいか、今でも年上の女性と仲が良くなる事が多いです。

 この両親と私の3人家族の中で、私の心の中に、「おとうさん]「おかあさん」という、安心のイメージが心に浮かばないし、父母ってよくわかんないんです。これは、非常に寂しいと今感じてます。

 そして、父母のイメージ出来ないまま生きて来てそれどころか自分の心を自分で主張したり語ったりした事がなかったので、「こんなの嫌」「これは嫌い」とかつらい、寂しい、苦しい、と言う心の部分を自ら蓋をして、感じない様にして、何も感じないふりをして生きて来ました。そしていつでも誰に対しても、聞き役、なぐさめ役、いい子ぶって、ニコニコして、私のせいで家族がぐちゃぐちゃにならない様に、学校では友達には不快な思いをさせない様に、周りに合わせ続け、ずーっとそんな役をしていました。

 だって、見捨てられたら、生きて行けないと思っていましたから……

 唯一、逆えたのは母でした。父に服従している姿を私はちゃんと記憶し、同時に抗らったり困らせて、母の気をひいていたのだと思います。

 でも、この心の蓋も17才の時に壊れて、全てが嫌で、全ての事を私に注目させる為に、ダイエットが頭に浮かび、食べて吐き、下剤を飲み、自らの体を26kgまでそぎ落とし、人退院をくり返していました。そんな時、内観を知りました。

 「自己」「自己主張」とは何か?…それまで私は、私白身の心と向き合った事もないし、向き合い方もわからず生きて来たのですから。内観作業中も、その後も毎日涙があふれました。

 自分の口を使って言ってみないと物事は、伝わらないのだと実感しては涙があふれ、「嫌な事は、嫌だと言ってみない限り何も変化していかない」と悟りガク然となりました。そして父、母、私それぞれが互いの陰となり、自立していない事に気づき、挫折感に陥り、もう全て終りだと感じ泣き続けていたのを覚えています。今まで何の為に生きてきたのか、頭の中が真っ白になりました。それでも内観とは不思議なもので、そんな中でも、ひたすら自分に集中し、自分を見つめる作業を積み重ねていくうちに、いつの間にか、「今まで自立していなかったにしても、これからだ。今からでも遅くない」と考えられる様になって来ました。

 内観後、私は父に文句も言うし、主張もします。相手を考えずにします。慣れないから違和感はあります。でも気持ちは楽です。今まで逆えなかった父に、何のかけひきもなく、自分の気持ちをぶつけるという事は、勇気が必要です。でも、この気持ちも自分を見つめてみないと、自分の心の声は聞こえないし、見えません。「自分]の力で「自分」を見つめていないと「自分」を見失ってしまうと内観で気づき、実感しています。

 そして自分に集中し続けていると「全て一息に変らないのだ。積み重ねて、少しずつクリアしていくしかない」と痛感しました。

 この気持ちを持続するのは、本当に至難の技です。しかし、それしか道はないと私は思っています。積み重ねると言っても、頭の中はいつもグチャグチャしています。その中で、嫌だとか、辛いとか寂しいとか苦しい事を、自分に集中して見つめてそれを受け入れていく作業は凄く苦痛で、誰かに頼ったり、身代りなって欲しかったりする事が、何度もあります。でも、そう感じている自分を見つけられる様になり、自分を見つめ、自分を放棄しないでいくうちに、自分を自分の中に感じる様になっていくんだと日々思います。

 私は摂食障害=過食・嘔吐等を強制的にあるいは誰かに言われてやめるとか、やめたつもりをするのはもうやめました。もし、内観に出合ってなかったら、こんな事考えずに、何故止らないんだろうと迷路の中に居たと思います。

 今、続けている事は、「自分の心に集中し日々積み重ねること。そして自分の手や足や耳や口を使って自分自身でやること」。すごく難しいです。言い訳したいし、逃げたいしでも逃げると、元に戻る様な気がします。それだけは嫌です。「気づく」とは、すごい力です。もし、私が内観に出合ってなければ、家族は誰かの陰となり疲れ果て、早くに崩壊していたと言って過言ではありません。内観とは、心の底の方まで響く位、とても深い作業です。





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