子育て いじめ 不登校 ひきこもり 暴力 アルコール 薬物依存 拒食 過食症 リストカットなどの予防、解決を考える会。北海道内観療法懇話会 臨床内観療法研究会
 
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  子育て・いじめ・不登校・ひきこもり・暴力・アルコール・薬物依存・拒食・過食症・リストカットなどが社会問題となっています。これらの予防・解決に内観法、内観療法が有効であると考え、その予防・解決について考えます。

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スクールカウンセラーの役割について
札幌カウンセリングセンター所長 臨床心理士
豊島 真

はじめに 
 カウンセリングの歴史を紐解くと、今世紀初頭のアメリカに始まる。進路相談の専門員を学校に配置したところ、対人関係の相談も行うようになったというのである。カウンセリングはスクールカウンセリングに始まると言っても過言ではない。この事実は、学校にカウンセラーがいるのは本来自然なものであることを意味する。しかし、本邦ではカウンセリングについて知らない人が少なくない。勿論教師も例外ではない。

 一方的な指導や与える教育ではなく受容、共感、一致の三原則に基づく、人間尊重を基調にするカウンセリングは、教育の現場にいる教師にとって、素直には馴染めない面も多い。そこで、平成7年度より専門のカウンセラーがその分野を担当するべく、文部省の研究事業が始まった。以来、今年度に至るまでスクールカウンセラーは、文部省の委嘱を受けた臨床心理士等が1週8時間、年間35日非常勤で活動している。スクールカウンセラー受け入れ校はスクールカウンセラーの活用法について委託研究を行うことになっている。

1.スクールカウンセラーの活動
 実際の学校での活動は、生徒に対するカウンセリングが中心になることが多い。「スクールカウンセリングは学校教育全体に対する側面から援助を行う」と言うのが文部省の考え方だけに、現場の考え方とは食い違いが見られる。問題のある生徒に対しカウンセリングという技術を駆使することで行動変化への速効性を期待するのか、教育の根幹に触れるような動きを避けようとしているのか、ともかくいじめ、不登校、学校内不適応などの生徒を中心にカウンセリング活動を求める意向が強く感じられた。それだけ、生徒の問題が校内で深刻になっていることも事実である。

 例えば、死に至るようないじめの問題がある。事態が深刻になる前に子供自身が親や教師に救いの手を差し伸べることができないのは、大人との間に何らかの理由で信頼関係ができていないことが多い。大人との関係は絶望するようなトラウマがあるのかも知れない。一度大人との信頼関係を築き上げた子供は、何か困難な出来事にぶつかったとき、その関係の中に戻り、自分自身を癒す事ができる。しかし、人間同士の信頼関係を経験しない子供が問題を起こしたとき、解決のために他人の救いを求めることは難しい。そのような子供は大人に相談し力を借りることは恥をかくのも同然だと感じている。信頼関係を作れない自分を抑圧することで、強がるようになる。例えば「いじめられたんだろう?」「違います。遊んでいただけです。」のようである。それは信頼関係を拒否することで自立性を誇示しようとしている姿である。このような子供にとっての友達とは、利用し合う関係が中心であり、価値が無くなればそれで終わりという浅い関係しか持つことができない。人と人の関係は人間関係というより物との関係に近いから、死に至るいじめにも発展するのである。

 このような子供と関わっていると、親自身の問題を感じることがある。子供よりも自分自身の自己実現に忙しい親は多い。勢い子供には目が届かなくなる。子供にとっては自分の存在を認められないことほど辛いことはない。大抵の親はこのことを良く知っており「そんな言うことを聞かないのなら、お母さん知りませんよ」と躾に生かそうとする。つまり、子供の分離不安をかき立てるとわがままは治まるというわけである。また、結果を見て評価する親は多いが、それに至る経過から評価する事が少ないように思う。テストの成績に対して一言言っても、テストの結果を子供がどう受け止めているのかという子供の目線で物を言う親も少ない。信頼や共感という、本来親子の関係には備わっているはずのものが感じられないのである。このように子供の信頼関係が育たない理由の一つには、家庭での親子関係が放任や過干渉など偏った関係になっていることもある。つまり、親子関係が大人社会の縮図そのままになっているところが問題である。

 学校では、自らの人間性を閉ざしたまま生徒と触れ合おうとする教師がいる。人間的などろどろした関係を嫌い一方通行の、非人間的な指示的な関係でのみすっきり済ませようとする教師もいる。生徒の心の動きなどは目に入らないので、生徒理解は行動や結果への評価が中心になる。あるいは、自分が何を教えたかが最優先し、それが生徒に伝わったかどうかは二の次の教師もいる。しかし、いずれの教師も日々忙しく動き回り、自分ではこれ以上は無理と言うぐらいに働く良い教師なのである。生徒をある方向に引っ張って行くのも教師の仕事なら、遅れた子供には一緒にそこへ止まってペースを建て直してやるのも教師の仕事であろう。それには、自己開示が前提である。生徒の心を知ろうとするより先に、自分の人間性を生徒の前で十分に見せないと生徒は心を開かない。次に、その子供の可能性を伸ばそうとするなら、叱るよりも誉め言葉を多めに使う方が良い。育てる教育は生徒の長所を見つけ「伸ばし」、心に傷を持っている時には「癒し」、そのことが人間性を「育む」ことにならなければ人間性を育てる教育の目標は達成され得ない。しかし、あまりに目先の現実に縛られその対応に追われている教師の姿が目に付く。その影では、いじめが見逃され、不登校に陥った子供は「家庭の問題」と切り捨てられている。

 以上がスクールカウンセリング活動を通して、見てきた事の次第であり、カウンセラーとして度々指摘してきたことでもある。従って、子供の問題だけの対応では済まされないものがたくさん存在し、まさに社会の問題と言うことができる。

2.スクールカウンセラーの役割
 今まで述べてきたような活動の結果から思うことは、生徒には互いに己を開示して同じ人としてみる意識を高めてもらうことである。自分と他人の違いは表面に表れやすいが、人として同じ部分は軽視しやすい。違いの上に流行を身につけて同じになろうとするのではなく、中身に潜む同じ部分との付き合いを深めてもらいたいと願っている。大人もまた人間は個性的であることを常とすべし、と強調し過ぎて来たように思われる。それは、あたかも心理学者がストレスや欲求不満を長年悪者に仕立ててきたことに似ている。しかし、これとて「人間だから間違うこともあるよ」と許し認めて上げるためには、自分の経験とオーバーラップさせ、相手の身になって理解し、思いやりの心で接するという順で集団生活を送って欲しいと思う。おそらく思いやりの心の教育などは取って付けたようではなくなり、本来の他人を思う行動にかわり、その行動は自己実現の一つのにもなるというように良い循環を生むはずである。人としての共通理解を持つことによって人間性は普遍性のある成長を遂げるし、集団生活の意味も増すと思われる。

 生徒達に対し、このような変化をもたらす方向で、スクールカウンセラーの活動が行われるのが妥当だと考えている。つまり、カウンセラーがいなくとも良い学校になるためには、スクールカウンセラーが学校に行ったときには、自分以外はすべてクライエントと覚悟して、学校、家庭、生徒それぞれへの意識改革を迫るような活動を展開すべきだと考える。

おわりに
 スクールカウンセラーの事業は試験期間を終わろうとしている。今後、中学校を中心とした拠点方式での配置が検討されつつある。荒れる教育現場への対症療法的なカウンセラー配置の時代は終わり、次のステージへ移行しようとしている。少年法改正や虐待防止法など、スクールカウンセラーに関係する法的な動きも見られる。私たちのスタンスも明らかにしなければならない。それにしても、スクールカウンセリングのマニュアルが存在しない現状では、今までの活動を明らかにし更に練り上げることはできない。早急に整理し、記述する時期に来ている。スクールカウンセリングには、山積みの課題が残っている。





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