3度の内観療法により気付いた父親の愛情

 

A.A.(20代男性、ひきこもり、うつなど)

 

 「三つ子の魂百まで」のことわざの通り、私がひきこもりになった原因は、子どもの頃からの性格が関係していると思う。思い起こせば、取り組むべき課題があっても自分の思い通りにならないと投げ出したり、刺激されるとすぐに感情的になりやすい傾向は、大人になってもあまり変わっていない。そのような行動を繰り返している内に、「生き方」として染み付いてしまったのだろう。

 学生時代はその「生き方」をごまかして、外面を装って人付き合いをしたため、大きな問題は起こらなかった。しかし、学校を卒業し就職することは、その「生き方」の自分と直接向き合わなければならないことだろうと思い、とても怖かった。当時はそこまで具体的ではなく、漠然とした恐怖感であった。社会人としての自覚を持つことの意味を理解できず、完全に行き詰まり、不規則な生活、気分の落込み、うつなどの症状のため、大学卒業の半年前に精神科を受診した。それまでは、家族に対しての遠慮、我慢が多かったが、精神科受診以来、極端に甘えるようになってしまった。

 働く意欲はあまりなかったが、自分の小遣いを稼ぐため、アルバイト程度の仕事に就いた。しかし、壁にぶつかると投げ出し仕事を辞めた。数ヶ月で転職を繰り返し、ついには働くことすらやめ、ひきこもりとなった。

 昼夜逆転し、夜中にゲームをしているだけの生活だった。親、周りから指示をされたくなかった。誰とも会話の内容を合わせようとせず、ものの考え方も相当狭くなっていた。そんな状況は、幸せでないことは理解していたし、何とか改善したい気持ちもあったが、どこにも出口が見出せないように感じられた。

 そのような生活が2年位続き、札幌太田病院に入院となった。集中内観療法を計3度受けた。その度に新しい発見があった。1度目の内観では、事実を客観的に見れず、自分の過去の価値観を否定する気持ちと自己弁護する葛藤が強く、冷静さを欠いた。当時の日記を読むと、視野が狭くなっていたのがわかる。2〜3回目の内観では、それまで気付かずにいた事実を急に思い出すことがあり、胸の詰まる思いをした。記憶の中で勝手に思い違いをしていたこと、自分の都合ばかり目に留めて、相手をほとんど考慮していなかったことなど、自分の酷さにショックを受けた。また一方で、思っていた程、状況は最悪ではなかったことに気付き、安心したことも多かった。

 特に父に対しての気付きが多かった。父とは亡くなる数年前から会話を交わすことが少なくなり、「自分が精神的にもろいのは、父の子育てのせいだ」と思い込んでいた。そのことを直接父に非難したため、父との関係は疎遠になり、後悔していた。内観3回目で、父とは非難した後もそれなりに会話があったこと、一人暮らしを始めるときに資金を貸してもらったこと、親戚を送迎した際にお礼を言ってもらえたことなどを思い出せた。子供の頃、父から「お前は駄目だ」とよく言われたが、それは人格の否定ではなく、物事を諦めるところ、感情的になりやすい点など、私の短所のみを指していたのであると、捉えることができるようになった。最近、子どもの頃に父から言われたことを考えることが多い。父と親しかった人達は、父のことを「愛情表現が不器用な人」と話していた。以前はその言葉の意味がわからなかったが、少しずつ理解できるようになった。父に少しずつ似てきた自分を許容しようと思うようになった。

 そろそろ「三つ子の魂」と向き合った方が良い時期だと思う。やろうと決めたことは最後まで放棄しないこと、無理なことは引き受けないこと、この2つをしっかり心に留めて生きていきたい。